自分の身体を理解しようと、小磯先生の「緊張と弛緩」の講座に参加。緊張の要因や、緊張を回避することで陥る弛緩などを学び、本来の力を発揮する領域の感覚を体感してきました。この講座を受けて、私がしていた「集中」は真逆な行為であったと知るy良い機会となりました。
目次
緊張と弛緩についての身体講座に受講
先日、TCアカデミーさん主催で行われた、小磯先生の身体操作法研究の講座に参加してきました。
テーマは「緊張と弛緩」です。
パフォーマンスの低下の要因である、「緊張」と「弛緩」。
緊張は、張り詰めた状態であることで、弛緩は、緩みや弛むこと。
少しの緊張や弛緩は、力の発揮を高めるが、どちらも「し過ぎる」とパフォーマンスが低下します。
今回は「緊張」と「弛緩」の間である「中庸(ちゅうよう)」とはどんな状態であるのかを身体を通して学び、
そこで私が気づいた「集中」についてお伝えします。
緊張させるは筋肉だけではない
この講座で、私が1番驚いたのは、「緊張は筋肉だけではない」ということです。
筋肉だけではなく、思考や眼、恐怖や舌による緊張もあると知りました。
私は「えっ、舌の緊張でもパフォーマンスは低下するの!?」と最初は半信半疑でしたが、
実際に舌を固めてみたり、不二家のペコちゃんみたいに舌を横にして身体を動かしてみると、動けていた身体が動かなくなりました。
(あのバスケ界で有名なマイケルジョーダンが、シュートをする際に舌を出すのは、力まないためであると納得です)
思考は身体の動きを固める
また、よくスポーツで使われる「考えろ」は、時には身体の動きを止めてしまうと知りました。
その証明として、相手と向かい合って立ち、両手首を相手に掴まれた状態で、両手を上に真っすぐ上げる(バンザイ)をする際に、
何も考えずに指先から自然に上げると、すんなり手があげられましが、
思考を使う行為(例えば、簡単な計算や今の状況を意識)しながら両手を上げようとすると、全く両手があがりませんでした。
(力ずくで上げようとすれば出来ないこともありませんが、余計な負荷を感じます)
趣味でやっているお習字も一画ずつ考えながら書くと、字が縮こまっていたり、線に力みがでるなどの崩れた作品になるので、何事も共通していると実感します。
狙いすぎは逆効果!?
また、眼の使い方でも身体が変わります。
まずは、相手と向かい合い、お互いの手のひら(片手)を上下で重ねます。
下に手を置く人が「動かす人」で、上に手を置いている人が「動かされる人」となり、
下の人が手を動かすのに対して、上の人は手のひらが離れないようについていきます。
そこで、動かされる人が、動かす人の手をしっかり眼で見て追っていくのと、
動かす人の手を見ずに他のところに目線を置き、そこぼんやりと見ながら行うのでは、反応の速さが違います。
相手の手をじっと見ると反応が遅れ、他の所をぼんやり見ると反応が速くなるのです。
手のひらの感覚に身をゆだねることで、手を逃がすことなく勝手に身体が対応してくれます。
「集中」は踏ん張ることではない
私は「ここ集中!」と思う時ほど、眼をガッと開いて相手や状況を注意深くみようとしていましたが、
その集中の隙間を相手に突かれたり、集中後にやたら疲労が残る経験をしたことがあり、これらは「思考」と「眼」が関わっているのだと知れました。
今回の講座で、私の「集中」に対する捉え方が大きく変化しました。
今までは、集中を「みる」「考える」「決める」といった「○○する」という足し算的なイメージで行っていましたが、
むしろ集中とは「見ない」「考えない」「気にしない」というような引き算方式(○○しない)が、本来自分の持つ力を引き出してくれると学びました。
今まで「集中する」という事にどれほどエネルギーを費やしていたのだろう。。。
とは言っても、引き算のし過ぎは「弛緩」となり、過度な脱力によって動けない現象が起こるので、
その間の「中庸ゾーン(自然・そのまま・リラックスな状態)」は自分にとって何なのかを観察し続ける必要があります。
力が発揮できる領域を日常から研ぎ澄ます
今の自分が「緊張」か「中庸」か「弛緩」のどこに属しているのか察知する能力が研ぎ澄まされていくように、フェンシングだけでなく日常の面からも観察して参ります。
知識をインプットするだけでなく、実際に先生や受講者の方々と自由に試し合うことができたお陰で、自分の納得を深められた時間となりました◎