私は、中高生の強化体制が活発になっている現状を知り「さらに競技人口を増やし、山形県の中でフェンシングが活発になってほしい」と思った。国体予選で帰省した際に、自分が置かれている立場を認識し「これからは私が山形を引っ張る」と決意しました。

山形県の中学生から大人まで参加する国体予選

7月15日(日)に山形県米沢市営体育館で「国体予選」をしました。
国体に向けてのメンバーを決める試合です。

国体(国民体育大会)とは都道府県対抗で行い、毎年開催場所を変えて行われる大会です。
2018年の国体は福井県で第73回大会「福井しあわせ元気国体」が行われます。

フェンシングは団体戦、カテゴリーで種目が異なる

フェンシングの国体の試合方法は3人の団体戦です。
国体の団体戦は「紅白戦」です。
試合は3試合でひとり1試合(5本勝負)を行います。勝敗は2勝したチームが勝ちとなります。2勝をするためにメンバーの誰が、どの順番で戦うのかの駆け引きも紅白戦で重要です。

カテゴリーは少年と成年で、成年の種目は年によって違います。

少年男女(中学3年から高校3年)
フルーレ種目

今年の成年(大学1年以上)
男子 フルーレ種目・サーブル種目
女子 フルーレ種目・エペ種目

フェンシングは「フルーレ」「エペ」「サーブル」の3種目があります。
少年はフルーレ種目だけ、成年は2種目(フルーレとエペorサーブル)です。

エペとサーブルは毎年入れ替わりで実施します。去年は男子がフルーレとエペ、女子がフルーレとサーブルでした。成年では専門ではない種目をしなければいけません。

種目特有のルールがあるため、自分の専門種目から違う種目に切り替える難しいです。
私はエペの試合で、専門のフルーレの戦術を癖ですることがあります(笑)

東北の壁を越えると国体に出場できる

成年男子は全ての都道府県が国体に進めます。
しかし、少年男女・成年女子が国体に行くためには東北のブロック大会で通過しなければいけません。成年女子は東北ブロック大会(東北大会)で2位以上になれば国体出場です。

山形県予選→東北ブロック大会(8月下旬)→国体(9月下旬)

成年女子の東北大会は、フルーレとエペでそれぞれ紅白戦のリーグ戦を行います。
リーグ戦の結果の順位に点数を付け、フルーレとエペの合計点数で総合順位を決めます。総合順位が2位以上だと国体出場です。

もしフルーレで1位になっても、エペが最下位であれば上位にはなれません。
そのため、両種目のバランスも求められます。

去年の山形県の成年女子は、フルーレは1勝でしたが、サーブルで全勝をして国体出場を決めました。フルーレでは、どの県も勝ったり負けたりで全勝した県がいないため総合得点に差が出ませんでした。

最後までチャンスがあるので、気を抜けません。
東北大会では毎年「熾烈な戦い」をしています。
成年女子は国体の常連である山形・秋田・岩手・宮城で争っています。
この激熱な東北を勝ち抜くためには、メンバー選考にも熱が入ります。

山形県の代表3人が決定

山形県代表の選考方法は個人戦で、フルーレとエペのリーグ戦をします。
リーグ戦の順位に得点をつけ、フルーレとエペでの合計点で代表を決めます。

成年女子は大学生が3人、社会人が2人の計5人が出場。
(もっと成年の人数が増えてほしい)
今年の山形県の作戦は「フルーレ種目での国体入賞」を狙うため、フルーレの得点は2倍です。

私はフルーレとエペの両方で2位、山形県の代表が決定しました。

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他の2人のメンバーは、同じ法政の後輩と高校教師をしている社会の先輩です。
東北大会に向けた関西遠征(7月下旬)や国体合宿(8月上旬)があるので、個人の力を高めつつ、チーム力も大きくしていきたいです。

成功材料を手に入れたフルーレの試合

私は専門であるフルーレで優勝を狙っていました。しかし、同じ法政大学の後輩に負けて結果は2位でした。

6月下旬から取り組んでいる新しいプレースタイルが定着していないと痛感しました。試合映像を振り返ると、自分が思い描いていたプレーと実際にしていることがマッチしていませんでした。
試合後にビデオをチェクして「何これ…」とボソッと呟いていました(笑)
自分の課題に早い段階で気づけて良かったです。
東京では、見つけた課題を克服します!

イメージトレーニングで臨んだエペ

自前のエペ剣を持っていないため、試合では米沢市フェンシングスポーツ少年団からお借りしました。実践練習はしていませんが、エペをしている同期に「どうやったら勝てる?フルーレ人が気をつけることは何?」と話を聞き、動画をみてイメージトレーニングをしました。

エペの目標は「まずは1勝すること」でしたが、4試合中3勝することができました。試合では、エペ人の大学生に負けましたが、教えてもらった技が決まって嬉しいです。
次はもっと作戦を練って専門のエペ人に勝ちたいです。

これからは私が山形のフェンシングを作る立場

私は中学3年生から国体予選に出場し、東北ブロック大会や国体を経験してきました。
2013年の東京国体(当時高校1年)では少年の部で3位、成年女子がフルーレで3位・サーブルで優勝をしました。

そして、女子の総合優勝県に授与される「皇后杯」を頂きました。
山形県のフェンシングで初の皇后杯に私も貢献できて光栄です。

当時の成年女子チームにはフルーレで元ナショナルチームの先輩がいました。
その先輩がいるだけで、場の雰囲気が一気に引き締まるほど影響力がある人です。

試合では念入りに作戦を練り、試合以外では少年の応援を熱心にしてくれました。
競技者だけでなく、人としての強さと優しさを持つ方です。
その先輩は現在、山形県の指導者として活動しています。

私は国体予選で「これからは私が山形県のフェンシングを引っ張らなければいけない」と自覚しました。
それは私が少年の試合を見ている際に、当時と比べて自分ができるようになったことの多さや、今の私だから伝えることができる経験があると気づいたからです。

「これからは成年として山形を引っ張る存在になりたい。色んな経験をしている私だからこそ、できることをしたい」

今までお世話になってきた山形だからこの想いが芽生えました。
山形でフェンシングを始め、試合ではベンチに多くのコーチと仲間が入って(今では一人までと注意されます)フェンシングをするのが楽しかったです。

私が上京して帰省した時は「元気だったが?東京の生活はどう?」と声を掛けてくれます。駒沢体育館であった試合では、観客席から山形の人達が応援をしてくれました。

自分の所属だけを応援するのでなく、山形県全員をチームとしてフェンシングをしている山形が好きです。だから、私ができることを山形に貢献していきたいです。

普段は東京で活動していますが、国体では直接山形に関わることができます。
まずは成年女子で国体出場を決める。それに向けた8月上旬にある国体合宿でチームの団結を高めます。また山形県の全種目で福井国体に行けるように、私ができるアドバイスは遠慮なくしたいと思っています。

山形を盛り上げってもらっている立場から、私から引っ張れる立場へ。
できるところからやっていきます。