10月6日と7日は茨城国体の成年女子サーブルが行われました。私たち山形県は7位入賞です。わたし自身、最初はなかなか点数が取れませんでしたが「チームのために」という想いが思考と目線を変えるきっかけになり、立ち直って試合をすることができました。また今回の国体メンバーはおそらく最初で最後のチームです。決して忘れない、笑いあり涙ありの国体期間になりました。

成年女子サーブルで7位入賞

成年女子のサーブルでは、私たち山形県が7位に入賞しました。

初日の予選ではチームは全勝したものの、私個人は全く勝てず。しかも1点も取れなくて、フルーレ以上に悔しすぎた私は、実は隠れて泣きました。(笑)

開き直ると周りが背中を押してくれる

泣いたら自然とすっきりし、その後はいつも通りの様子へチームのところへ戻りました。

「今日は1点も取れなかったので、明日は何としてでも1点取ります!!」、「今日取れなかった分は明日取ります!!」という開き直りで、山形のチームメイトや他県の友達に宣言し、翌日の試合前には「まずは1点とりなよ」と圧をかけてもらい、自分を奮い立たせてもらいました。

腹をくくって試合に立った準々決勝

トーナメントでは、ベスト4を決める試合で鹿児島県と対戦しました。
鹿児島はサーブル人が揃っているチームで、県全体でサーブルが強いイメージがあります。

先に2勝をしたら終わりという試合で、私たち山形は「サーブル人の先輩2人が1番と2番になり、そこで勝とう」という作戦になりました。もしチームスコアが1-1で3試合目があるなら私が戦うということことです。

先輩2人で勝ってきてほしいと思いながらも、とうとう私の出番がやってきました。
チームスコアが1-1。私でチームの勝敗が決まります。

フルーレで入賞した時の山形新聞の取材にて、先輩が「サーブルでは優勝しかみてない」と言ったの思い出し、「ここで私が繋ぐしかない。昨日点数が取れなかったのは、このためだったんだ」と自分に言い聞かせて試合に入りました。

試合は5本勝負です。
相手は大学生の現役選手で、4対1とリードされ私は追い込まれました。

この時に「こんなあっけなく終われない」と思うのと同時に、「チームのために勝ちたい」と思い、自然と新しいスイッチが入りました。

思考や目線の切り換えが大きなきっかけに

「こうしなきゃ」というやり方から、「まず1点とろう」とアバウトな言葉を自分に投げかけたのです。
すると、フルーレでやっている「リニュー」(相手より先に手を伸ばして突く技)をサーブルでやろうとひらめきました。

サーブル人でも使う技ですが、相手はまさか私がリニューすると思っていなかったようで、作戦が成功し1点をゲット。

(フルーレの試合で、私ははよく試合の流れを変えるために使います)

このリニューがきっかけに、試合の勢いが私に傾き連続で点数を取りました。
4対4の同点になり、1本勝負に持ち越しです。

私の狙いは決まっていて、相手が攻めてきたところにわざと隙を見せるフェイントで誘う作戦です。

勝負どころで繰り出した幻の1本

審判の「アレ!」(行け)の合図でスタートし、狙いどおり相手が攻撃して来る、私の展開になりました。そこで私はわざと足を使ってさがりながらジャブのようなフェイントを入れます。

そして相手が誘いに乗って狙ってきたところをさらに足を使い、相手の攻撃が終わった瞬間に相手の面をとらえ、審判機には私の色だけ点灯しました。

「やったー!勝った!!」

真っ先に後ろのベンチを振り返ると、1人は喜び、もうひとりは不安そうな顔をして審判を見ていました。

私も変な予感が込み上げながら審判を見ます。
審判はビデオを確認したあとに「押し出しテュッシェ!」と相手のほうへ手を上げました。

フェンシングは14mの舞台で、「エンドライン」という「この線から足が出ると負けですよ」という印があり、私はそこから一瞬出て、無意識にしれっと足を戻していました。

試合後に私も映像を確認すると一瞬足がエンドラインを越えています。
それを見ていた山形の人や大学の先輩からは「あれは幻だったね」と言われます。
記憶に残るプレーはできたようです(笑)

7位決定戦では勝利を決めて国体を終える

チームの人は「ナイスプレイ!」と言ってくれたり、私のサーブルの成長に涙うるうるになってくれた先輩もいて、それがとても嬉し過ぎて、勝てなかった悔しさが増しました。

そして私たちはベスト4を逃し、5~8位の順位決めの試合をして結果は7位。
7位、8位決定戦では最後に勝って国体を終えました。

表彰式後の写真撮影では、男子エペで入賞した福島県とパシャリ。

今回の国体はフルーレが4位、サーブルが7位と私自身、初めてダブル入賞を果たしました。
この経験ができたのはサーブルの頼れる2人の先輩のお陰であり、大会期間中は楽しくて仕方がなかったです。

最後チームに感謝と本音を伝える

そしておそらく先輩方とチームを組むのは最初で最後でした。
国体を引退したり、山形を離れてしまうとのことです。

寂しい気持ちがいっぱいでしたが、前から言いたかった「小学校生のときからカッコイイと思っていた先輩方とチームを組めて楽しかったです」と伝えることができました。


(1番右が高校1年生の私で、左側の立っている人と座っている人が今回一緒にチームを組んだメンバー。左から2番目の座っている人が今回フルーレの応援に来てくれた先輩。)

これは6年前の東京国体で少年女子とし私がおり、成年女子としては今回一緒に組んだ先輩方2人と茨城国体でフルーレの応援に来てくれた先輩が出場した写真です。フルーレの応援に来てくれた女性は、私が中学2年から上京したきっかをくれた1人です。

この時は少年女子がフルーレで3位、成年女子がサーブルが優勝とフルーレで3位になり、山形県が初めて皇后杯をとりました。

6年前は、大人になったら一緒にチームを組み、真面目な話をしたりフェンシングで頼ってもらうなんて想像もできませんでした。

人生って面白いとつくづく21歳ながら感じてます。(笑)

これからもそんな予想外な出来事が続くと思うと、身近なところで将来へ繋がるチャンスが転がっているとワクワクしています。見逃さないようにアンテナをはらないと。