ニュースではコロナのことばかり。注意や警戒が外に向きがちになりますが、こんな時だからこそ自分に目を向けるべき。自分観察は新しい出会いや発見の始まりです。外出自粛中に私が思ったことや気づいたことをスポーツ選手の目線で記事にしました。ご参考になれば幸いです!
目次
コロナ疲れが吹っ飛ぶ私の朝の日課
最近の朝の日課はラジオ体操です。
ふと立ち寄った釣り堀のある大きな公園で、紐ストレッチをしていたら
「♪タンタンタララ、タタンタラタッタター♪」
と聞き覚えのある音楽が耳に入り、周りを見渡すと釣り堀を囲むように人々がラジオ体操をしていました。
公園にいるほとんどの人がラジオ体操をするので、そこにいた私は、
- 走る
- 釣りする
- ラジオ体操する
この三択を迫られているような気がして③のラジオ体操を選んだことで、私の朝の日課の始まりです。
今ではラジオ体操仲間(勝手に思っている)の子犬に顔を舐められ、「マスクどこで買ってるの?」など何気ない会話をしています。
「おはようございます」から始まり「お疲れさまでした」で終わる朝の体操は、1日の良いスタートです。
外出自粛で人との関りが減ったからこそ、何気ないリアルな会話のやりとりに元気をもらっています。
ベクトルは外ではなく自分に向ける
そんな清々しい朝を過ごしていますが、数日前は心がザワザワしていました。
テレビをつけると「コロナウイルス」
ラジオを聞くと「コロナウイルス」
SNSを見ると「コロナウイルス」
最近はラジオを聞くのがマイブームで、アメリカではどのチャンネルも「コロナヴァイアラス」のワードばかりです。
情報を気軽に手にすることができる便利な世の中ですが、それと同時に生き苦しさも感じます。
自分観察で今の自分に必要なものと出会う
とある人との会話で、「ベクトルを外に向けるのではなく、自分に向ける」という言葉が、私の心のざわつきの答えに響きました。
最近はSNSでアスリートの発信が活発になり刺激になることもありますが、自分がよそ見運転をしている気持ちになることもあります。
どうやら私の心のザワザワは、注目が自分ではなく、外(周り)に向いていたようです。
この期間で大きな差がつくと思う気持ち(負けず嫌いな面もあるのです)から、生活の一部である読書が、「読まなきゃいけない」とせかされているような窮屈なものに感じたこともありました。
そういう時は心から物事を吸収できていませんね。
表面だけの学習ですぐ忘れてしまいます。
私が気にする陥りがちなアスリート思考
私はもしかしたらこの期間中に「やらなきゃ」と思い過ぎて、変な動きの癖がつき、怪我をする人もいるのではないかと思いました。
やった感を求めるのは良い事ではありません。
やることは良いことですが、時には妄想や過信になります。
私は大学1~3年の夏休みに似たようなことを経験しました。
アクセル全開の「やろう」という気持ちが、量や負荷を気にしていましたが、それが余計な動きの癖がつき、急ブレーキになりました。
誰かがやっているからやるのではなく、自分の身の程やレベルから今するべきことは何かを考える。そのための自分観察です。
まだまだ鮮明ではありませんが、私は少しずつ自分の心と身体の声と会話ができるようになってきました。
日常生活すべてが練習
観察はどんな時でもできるので、日常生活で祝福すべき課題が見つかります。
動きの質を高めたいと思っている私にとって、箸を使うことや字を書くこと、立つことや歩くことにもヒントが隠されています。
私にとって日常生活が練習で、日々の生活が楽に楽しくなりました。
心を軽くするには引き算で考える
また動作だけではなく、心の面でも発見があります。
自分を観察していくと、足し算だけでなく引き算も必要な時もあると知りました。
「あれもこれもやらなきゃ」と散乱に思っていたものが、1つに集中すると意外とあっという間に終わったり、何かをするなら何かを捨てなければいけないことにも気がつきます。
外に目を向けるのをやめ(引き算)、自分を見つめると、自分にぴったりの新しいもの(足し算)と出会えるものです。
自分に目を向けてコロナ対策を
コロナウイルスも「かかったらどうしよう」と怯えるのではなく、自分ができる対策をするのみだと思っています。
私は気を抜くと口呼吸になっているので、鼻呼吸するのを心がけています。
鼻呼吸は天然のマスクらしいです。
これは以前、お友達のランニングコースをお散歩した時に撮った写真です。
「ゆっくり走ろう」
意味が深い(笑)